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2019.10.02

日本のヒッピーとその後

今ではヒッピーは過去のムーブメントとして歴史にその名を残すだけとなってしまっていました。当時ヒッピーだった人たちは、今どのように過ごしているのでしょうか。元ヒッピーであり、OLD TIME WINDOのデザイナーでもあるジョリーさんに当時の様子から現在の活動への繋がりまでを聞いてみました。

ヒッピーになったキッカケ

学生時代にバイトとしてハンドメイド品を原宿で売っていたのがキッカケ。専門学校で絵画を専攻していたけど、就職先がなくて先生からは勝手に探せと言われたし、卒業後もそのまま続けていた。当時、ヒッピーの人達は原宿とかで風呂敷広げてハンドメイド品を売って暮らしていたんだ。高度経済成長真っ只中で、今みたいに服とかアクセサリーは選ぶほどなくて、身に付けれるものがどこでも買えるようになってきたのは1980年以降。だから、当時は路上で販売すると「珍しい、珍しい」って人がすぐ群がって、1日で1ヶ月分稼ぐことも。原宿とかはモデルが多く、ハーフの子と仲良く慣れたり、芸能人が買いに来たり。松田聖子にも売ったことがあるよ。本当、まだ子供の時だったからあんなヒットするとは思わなかった。警察が取り締まろうとしてやってきたり、ヤクザが所場代をよこせと言ってきたりで大変だったけど、「自分だちは自由だ」とか言って続けてたね。

 今思うとその時代その時が一番輝いていた気もする。スマホとかガラケーとか、当時はそんなものないから日時と場所だけ決めて、集団行動ではなく個別に道中を楽しみながら目的地に向かっていく。でっかいリュックを背負っているからカニ族とかって言われてね。炎をみんなで取り囲んでフォークギター鳴らして、若いから音痴でも構わず歌うんだ。

デザイナー名:ジョリーの由来

原宿でハンドメイド品を売っていても周りは知らない人ばかり。本名で呼び合うほど仲は良くないからお互いをアダ名で呼びあうんですよ。ジュン、ジョー、与作・・・とか、横文字が多かったかな。それで名前を聞かれた時に、自分の名前に「よ」がついているのもあって、なんとなく「ジョリー」に。あとで知ったけど、ジョリーはフランス語で、綺麗とか美しいという意味があるみたいね。

当時販売していたもの

10才ぐらいからラジオで洋楽を聞いてたり、1950年代の音楽がとにかく好きで、まさに「紅の豚」で描かれているような時代の文化。だから、木を削って飛行機をペインティングしたり。当時は皮で作ったバッグとか小物とかを売る人が多かったけど、私はへそ曲がりだから他の人とは違うものを作っていた。型を作って皮をくり抜いて、グラデーションが出るように1つ1つ染色したり。鎌倉のお店にも卸してたりもしていた。

ヒッピーのその後の活動

昔は70年安保とか、成田闘争とかあって、学生運動も本当に盛んだった。新宿駅に学生が集まって大抗議してたり、とにかく人が多くて小田急線に乗れないぐらいだった。ヒッピーもベトナム戦争反対だとか掲げるんだけど、表に出ないように活動するんだよ。人によってヒッピー続ける年齢はバラバラだけど、商売の上手い人はお金をためて喫茶店開く人が多かった。案外ヒッピーにもインテリが多くて、早稲田中退、東大中退とか、卒業しても就職せずにヒッピー続けてたりね。私も穴泥棒というラフォーレの裏にある喫茶店の開業を手伝ったり。コーヒー一杯1100円で何万もするコーヒーカップ使ってたり、高級な感じの喫茶店の走りだった。その後は結婚や出産があって、今年の3月までマッサージ屋をやってたんだ。普通のサラリーマンにはなれないから、なんでもやらないといけない。学生運動してたやつは「僕は〜であります!」とか言って、普通に市役所勤になったりしてたけど、ヒッピーにはそんな器用なことはできなかった。時代ともにヒッピーはいなくなってしまったが、その当時は楽しかったな。

現在の活動について

マッサージ屋を3月で閉めて、またものづくりの時間が取れるようになったこともあり、小物の販売をネットで始めたり、andMadeのTシャツイベントで、Tシャツ製作にも挑戦してみたり。『OLD TIME WINDO』というブランドネームは、現代にはないゆったりとした時間の流れ、昔の時間と風の流れを対比して『ゆっくりした風の時間』という意味を込めている。Tシャツにプリントされている『Saying Cafe』というのは「終わりよければすべてよし」や「明日は明日の風が服」のことわざのように、前向きになれるような場所を作りたい思いから、架空の喫茶店として作った場所。今は架空の場所だが、実際に作れたらとも思っている。今、介護が必要な人が収入を得ようとするとNPOでよくある一過性のイベントがあるけど、安定した収入を得られるような場所はない。Saying Cafeではそういう人も働けるような場所として実現できればと思う。そんな思いからTシャツには前向きになれる言葉をそれぞれつけています。

インタビューは以上になります。1960年代後半にカウンターカルチャーとしてアメリカに現れたヒッピーですが、日本国内でのヒッピーに関する情報は非常に少なく、当時の社会背景を交えたジョリーさんのお話は貴重なものかもしれません。是非、気になった方は元ヒッピーのジョリーさんのアイテムも覗いて見てください。

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